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額田歴史の散歩道(額田城跡保存会員)

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2008年03月23日(日)

将軍が額田に泊まった。

徳川慶喜公額田寺門冶兵衛宅宿泊
小田部一彦


文明夫人(徳川斉昭夫人)がお亡くなりになったとき、慶喜公はそのご病気のご容態の悪いのを聞いて駆けつけたときには間に合わずお亡くなりになっていました。小梅の屋敷には仮に喪屋ができて、お棺を安置しており、ご遺骸を棺に納めた後にもお棺の前に通夜にて夜通し付き添っていらっしゃいました。時節柄寒い夜でしたが、近侍の人たちがお寒いからといっても、慶喜公はいやいや、私は長年遠く放れていて、ご存命の間、親孝行ができませんでした。今は反省しているとてもせめて、償うべく付き添いたい。寒いとて我慢ができますよ。とおっしゃられて、喪屋の中で一夜を明かされた。(明治26年1月のことでした。高瀬真卿談話)このようにして、瑞龍山のお墓へ埋葬の折には細かに采配を振るいました。帰途、常陸那珂郡額田の寺門冶兵衛という方のご一泊いたしました。座敷へ通された後、連日のお疲れもあるのにきちんとお座りし、一向に、くつろごうとは致しませんでした。冶兵衛はひどく恐縮しておりましたがふと、思いつき、床の間に懸かっていた烈公(徳川斉昭公)親筆の掛け軸を巻き納め代わりのもの架け替えたところ、はじめて、ご安心なされおくつろぎ遊ばされたという。親の掛け軸の前ではくつろげなかったというエピソードの一幕でした。
明治から大正までに何回水戸へ来たか。目的は。

• 明治22年4月30日出京,小梅邸に文明夫人を見舞い,松戸に至りて昭武の邸に滞在。5月9日松戸を発し,塩原・日光を経て水戸に至り,17日瑞龍山に詣で,大洗・水戸を経て18日東京に着,千駄ケ谷邸に滞在,20日静岡に帰る。
• 明治26年1月27日文明夫人死去。同日慶喜出京。2月5日文明夫人の葬儀を谷中に行い,7日遺骸を瑞龍山に葬り,慶喜は棺に従う。3月7日静岡に帰る。

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